2023.3.30
米国では失敗した起業家は「大人気」 日本でも起こる不可逆的なキャリア観の変化(前編)
※本記事は2022年11月28日、DIAMOND SIGNALに掲載された寄稿記事に一部加筆・修正を加えたものです。
シリコンバレー在住で日米のスタートアップ環境に精通した、マネージングパートナー 渡辺大が、不可逆的なキャリア観の変化について論じる本記事。日本のスタートアップエコシステムの弱点の1つとして、その数の少なさが挙げられますが、その背景にあるのが、起業家に対する実質的セーフティーネットの不足。こうした背景を踏まえて、起業に対する考え方に影響を与える「実質的セーフティーネット」の存在と「変わる日本人のキャリア観」について、前編・後編と2回にわたって語ります。
「起業は背水の陣で」という都市伝説
シリコンバレーのスタートアップエコシステムがもつ最大の競争力は、スタートアップの数の多さだと言っていい。これまで会った起業家を振り返っても、平均的なレベルが他のエコシステムに比べて特段高いという感覚はない。とにかく数が多いのだ。
身の回りで起業する人も非常に多い。シリコンバレー(ここでは広義にベイエリアとする)には米国の人口の2.3%しかいないにも関わらず、VCから調達を受ける米国内のスタートアップの20%以上があるのだから当然だ。
同じ理屈で、日本のスタートアップエコシステムの最大の弱点は、その数の少なさだと言える。この記事を読んでいる読者の周りには、最近起業家が増えているかもしれない。ただ、起業文化を毎年国際比較して公開しているGlobal Entrepreneurship Monitor(GEM) Reportによると、約50カ国中、日本は起業家数では最下位の常連だ。たとえば、「過去2年間にまわりに起業した人がいる」という問いに対する回答を見ると、残念ながら圧倒的に最下位だ。
出典/Source: Global Entrepreneurship Monitor 2021/2022 Global Report (2022)
シリコンバレーの人は日本人よりガッツがあって、チャレンジ精神が旺盛なのか、というと僕はそうではないと思っている。日本よりシリコンバレーの方がリスクを取りやすい、というのも語弊がある。単に起業するにあたってのリスクが「小さい」のだ。
シリコンバレーに限らず、米国でVCから調達したスタートアップは統計的に半分以上は失敗する、というのは前回記事(『日本の“早すぎる上場”はスタートアップエコシステム全体にとっての損失(前編)』)で述べた。失敗するとその起業家はどうなるのか。多くの起業家はGoogleやMicrosoftなどの大企業にアクハイヤー(人材獲得を目的として事業がたち行かなくなったスタートアップを投資原価やそれ以下の金額で買収すること)されるか、再び起業するか、またはその両方だ。
アクハイヤーもされず、再起業もしない人は、大企業や他のスタートアップに雇用される。起業経験のある人材は、MBAを卒業したての人材に引けを取らず、またはそれ以上に重宝される。一定の学歴や職歴がある人が、「起業したが失敗してキャリアの窮地に陥る」ということはあまり考えにくく、ある意味、実質的なセーフティーネットが存在しているといっていい(もちろん、精神的には失敗した起業家は絶望し、投資家に説明したり社員を解雇したりなど、耐えがたいプロセスが山ほどあるが)。
セーフティーネットが多くの起業家の動機にも織り込まれてるので、起業するにあたってキャリア的に背水の陣を敷く感覚は、米国ではほぼないといっていいだろう。
日本のキャリア観も変わってきている
日本では、経歴に関わらず起業家に実質的セーフティーネットが存在しているとは、まだ言えない。むしろ銀行融資における起業家の個人保証などは、その逆を行く発想で、落とし穴に槍が仕掛けられているようなものだ。その他、失敗に対する社会的スティグマ(偏見)や、失敗しなくても鳴かず飛ばずのスタートアップを売却しにくいなど、起業に対する「リスク」がまだ米国に比べてはるかに高いと言える。
よいニュースは、それが少しずつだが変化してきている、ということだ。少なくとも国内のテック企業の多くは、その成功・失敗にかかわらず、起業経験のある人材を積極的に採用している。融資の個人保証についても、大手銀行を中心に見直しが進んできている。
なにより重要なのは、起業を考える人にとってのキャリアやリスクに対する捉え方の変化だ。
僕が20年前にDeNAに転職したとき、「大手銀行を退職してベンチャー企業へ」というテーマの新聞記事に、名前が載ったことを記憶している。今思うと滑稽な話だ。それから10年がたった2010年ごろを振り返ると、大手企業からテック企業やスタートアップへの転職は当たり前になった。そして今は、大手企業からスタートアップへの転職はもちろん、起業してもそれだけで新聞記事の取材対象になることはないだろう。
人材の流動化は確実に進んできた。さらに今から10年後はどうなっているか想像したい。優秀であれば優秀である人ほど、周りで起業したり、スタートアップに参画することを選ぶ人が多くなるだろう。その中のほんの一部は、大企業での出世では得られないほどの金銭的な成功を収めるかもしれない。
だが金銭的な成功より重要なことは、成功しなかった人の多くも、槍つきの落とし穴にはまることなく挑戦を続け、起業という選択に後悔せず素晴らしい人生を送ることだ。
シリコンバレーの有名な投資家ポール・グレアムが2007年に書いたエッセイを最近読み返して、ちょうど今の(またはまもなく始まる)日本の雰囲気に近いのではないか、と嬉しい気持ちになった。このエッセイは、今や世界で最も著名なアクセラレーターとなったYコンビネーターのために書かれたものだ。2005年、Yコンビネーターの第一期スタートアップはたったの8社だった(現在は1バッチ300社以上)。
Y Combinatorを始めて2年がたった。最初のバッチ8社のうち、4社は買収されてファウンダーは一定の金持ちになった。成功確率50%は異常値かもしれないが、25%くらいは継続できそうな気がする。
残りの4社も、ひどい経験とはなっていない。3社は清算したが、ファウンダーはまもなく次のスタートアップを始める。残りの1社はもう少し粘って、最終的に作ったソフトウェアを25万ドルで売り、投資家に元本を返したあとでファウンダーも1年分の給与くらいの収入は得た。その後、Justin.TVというイケてそうなスタートアップ(現在のTwitchの前身)を始めた。
つまり起業して後悔している割合は0%だ。こっちは異常値ではなさそうだ。会社勤めをしとけばよかったと思っているファウンダーはゼロに近い自信がある。
こんないい話なのに、なぜみんな起業しないのだろうか。
(ポール・グレアムのブログ記事「Why to Not Not Start a Startup(スタートアップを始めない理由)」より抜粋、要約)
<後編に続く>
米国では失敗した起業家は「大人気」日本でも起こる不可逆的なキャリア観の変化(後編)